劇団四季についての基礎知識
<あなたが劇団四季についてまず知っておくべきこと>
劇団四季(四季株式会社)は、現在日本全国に8カ所の専用劇場を持っており、年間3,000回を超える公演を行っています。
今ではディズニー作品を中心に“ミュージカル劇団”としての印象が強い劇団四季ですが、スタートは東京大学文学部仏文科と慶応大学文学部仏文科の学生による演劇集団で、その後もフランス現代演劇上演を中心に上演する、ストレートプレイ専門の劇団でした。
劇団創立は1953年(昭和28年)。
創立記念日を7月14日(フランス革命、バスティーユ襲撃の日)としていることも、劇団スタート当時の「日本の演劇界に一石を投じる」という劇団四季創立メンバーの意思の象徴と言えます。
1964年にブロードウェイのキャストによる「ウエストサイド・ストーリー」の日本公演が行われた際に、ベルナルド役の俳優のダンス歴が浅いことを知った浅利慶太氏(劇団四季創立メンバーで、当時日生劇場の取締役であった)が、山田卓氏(振付家。当時、宝塚をはじめとした多くの舞台の振付で活躍していた)に俳優のダンスレッスンの可能性についてアドバイスを求めたことが、後に劇団四季がミュージカルへと進出するキッカケになりました。
1971年に当時の大スター、越路吹雪さん主演の「アプローズ」をキッカケにミュージカル路線を強めていきます。
1974年には「ウェストサイド物語」のタイトルで、「ウエストサイド・ストーリー」を上演。
1979年には、当時としては珍しいオーディションによる配役決定を取り入れて「コーラスライン」を上演。
1983年には、西新宿にテント状の仮説劇場を設えて、ミュージカル「Cat's」ロングラン公演に踏み出しました。
それまで俳優が手売りしていたチケットを、ぴあとの協力のもと、コンピューターでのチケット管理を導入したのも「Cat's」から。
(こちらの記事で、当時の様子がわかります。「チケットぴあの創業過程---今井仁さんインタビュー」)
もちろん、俳優陣の活躍も忘れてはいけませんね。
鹿賀丈史さんや市村正親さん、石丸幹二さんをはじめ、劇団四季出身でその後も活躍する俳優さんは多いですが、なんと「ルパンⅢ世」で峰不二子役を長く担当した増山江威子さんも、実はかつて劇団四季に在籍していたという事実。
劇団四季のメソッドとして有名な「母音法」や「呼吸法」は、こうしたストレートプレイの劇団としての歴史の中から生まれたもので、そうした歴史が今も舞台を中心に活躍する数々の俳優さん達を育ててきたのですね。
こうした劇団の歴史を何も知らず、ただただミュージカルの舞台の華やかさに憧れてオーディションに応募する人も多いとは思いますが、四季が“劇団”である以上、そして劇団四季の舞台を目指す以上、その歴史を知っておくことはとても大切なことです。
劇団四季創立からのいろいろな話がこちらの本で読めます。
(劇団四季がミュージカル劇団だと思っていた方は是非読んでみるといいですね。)
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